長谷ってどんなところ?

2021.4月

【長谷中学校vol.2】顔の見える給食を目指して

学校給食は、子どもたちが食を通して学ぶ食育の生きた教材ともいわれている。そんな給食を、栄養士はどのように捉えているのだろうか。全国学校給食甲子園に2年連続長野県代表として出場し、地産地消を評価した大村智特別賞(2019年)、舟昌賞(2018年)を受賞した長谷学校給食共同調理場の原真理子栄養教諭にお話を伺った。

(産直新聞社編集部・羽場友理枝)

 

顔の見える給食を目指して

「食べる子どもたち、生産者の顔を思い浮かべて給食を作り、給食や食育の時間を通して子どもたちに生産者の思いが伝わる、顔の見える給食を目指しています」そう話す栄養教諭の原真理子さん。長野県伊那市にある長谷学校給食共同調理場で働いている。長谷中学校に併設された給食調理場で中学校と小学校合わせて132食の給食を作っている。

栄養士の職につき15年目となる原さんは、今までに長野県内4カ所の調理場を経験してきた。初任地は川上村で、食数は500食。村として地産地消に取り組んでいたため、朝採りレタスが給食に並ぶなど、給食のなかで自然と地元食材を使うことができていた。

2カ所目に赴任したのは上田市で、食数は6,500食。「給食センターで14校分の給食を作っていました。栄養士も数名いて交代で献立を立てていましたが、とにかく毎日必死だったことを覚えています。食べる子どもの顔が見えないことや、食数が多いことで異物混入などのリスクも高まるので、そうした不安とも常に隣り合わせでした」と当時を振り返る。提供する食数の多さから、できることや意識することも変わってくるため、地産地消を心がけても、市内ではなく長野県産のものしか使えないなど、選択肢が限られていたという。その環境の中で、生産者や子どもの顔が見える給食を作りたいと強く思うようになったそうだ。

そんな思いを抱えて赴任したのが、中川村。食数は470食。地産地消が盛んな地で、前任の栄養士が生産者から納入してもらう仕組みづくりをしてくれていたため、それを引き継いで地元産の食材をふんだんに使った給食づくりを行うことができた。地産地消の給食を継続していくにも、地域の農家さんとの関係性づくりが大切だと思い、生徒と生産者が触れ合う時間を作っていたという。「生産者さんにも給食に納入することに意義を感じてほしいし、生徒にも生産者さんの思いを伝えたい」と生徒会で時間を作っては一緒に生産者さんのお手伝いに行っていたそうだ。そして2018年、現在在籍する長谷学校給食共同調理場に赴任した。

 

学校給食甲子園に参加して


今、長谷地区で地域の人に学校給食について聞くと、全国学校給食甲子園のことが真っ先に口に出るだろう。2018年、2019年と2年連続長野県代表として全国学校給食甲子園に出場し、2018年には優秀賞の舟昌賞と学校栄養士の個人賞キッコーマン食育特別賞、2019年には大村智特別賞を受賞すると共に、調理員の中尾志津香さんが調理員特別賞を受賞した。

長谷学校給食共同調理場は、今年で15回目となる学校給食甲子園の第1回大会で優勝しており、長谷地区の人にとっても学校給食甲子園への挑戦と決勝戦への連続出場は胸に熱いものが残る出来事だった。

出場を決めた理由を伺うと「長谷地区の中学生が『中学生にできる地域おこし』というスローガンのもと活動しているのを見たからです。自分は給食を通して何をできるかを考え、出場を決意しました」と話す。給食調理場と併設する長谷中学校では、地域の高齢化や農業従事者の減少に対して、生徒たちが自分たちで給食用の野菜を作ろうとし、それに伴い獣害の深刻さを知った。そこで、唐辛子を作って獣害被害を防ごうと考え、その唐辛子でラー油を作るなど、地域のために自分たちには何ができるのかを考え、実践している。その思いに触発されたと原さんは話す。

「もともと長谷中学校はコミュニティスクール(=学校と保護者や地域住民が学校運営に意見を反映させる仕組み)として活動していて、地域の方と距離が近かったのですが、学校給食甲子園への出場を通し、メニュー試食会や報告会など、地域の方にランチルーム(同校では全校生徒が「ランチルーム」と呼ばれる広い部屋に集まって給食を摂っている)で生徒と一緒に給食を食べていただく機会が増えました」と嬉しそうに話す。また、学校給食甲子園の献立を生徒と共に考えたり、地域の生産者を回って食材を集めたりしたことで、地域との関係性が密になったと感じているそうだ。

2年間学校給食甲子園出場のために尽力し、3年目からは地域の農家さんと向き合うことを決めた原さん。現在は頻繁に農家さんの手伝いや話を伺いに出向き、地域の郷土食や地域の食材を給食に提供している。

 

地域とのつながりづくり

地産地消の給食は、容易くできることではない。栄養士が旬や地域のことを知らなければ地域の食材を献立に反映することができない。規格通りの野菜がこないこともあるし、生産者と直接やりとりをすれば、品質などの指摘をきっかけに心の隔たりができてしまったりもする。学校側の必要量と生産者の出せる量が合わないこともある。野菜の処理も規格外のものであれば手間がかかり提供時間の遅れにつながってしまう。

「いろいろな挑戦ができるのは、食数が少ないこともありますが、ベテランの調理員さんがいてくれるからです」と原さんは言う。生産者との関係、栄養士の志、調理員の協力、地域の理解など様々な関係性があって初めて地産地消の給食が成り立っている。

「長谷に赴任したばかりの時、地域の給食納入者の生産者会議に参加させてもらおうと問い合わせたら、ちょうど2016年度に高齢化のため解散したところでした」と原さん。地産地消を行うためには、生産者が納入してくれるようにしなければと、地域の人づてに聞いては農家さんを尋ねて行った。学校給食甲子園を機に、中学生の頑張りや原さんの思いが地域に広がるきっかけとなり、地域の人がもう一度生産者の会を作ろうと活動を始めてくれ、まだ小さな団体だが地域の生産者の会ができた。

長谷の素材が詰まった給食甲子園のメニューは、地域の方の要望で、地元の道の駅にある農家レストランのメニューとしても提供することになった。「地域の人に給食を広く味わってもらえることも嬉しいですし、卒業した生徒に給食を外で食べてもらえると思うと嬉しいです」と原さんは話す。

次の異動までまだどのくらいかはわからないが、生産者の会や地域の農家とのつながりを強め、次の先生に繋げられるよう長谷地区の地産地消の仕組みを細く長く続くものに作りあげていくことが今後の目標だと話してくれた。

筆者も、長谷地区の農地を共同で管理しているチャレンジ圃場(本誌38号、39号で掲載)から、学校給食に野菜を納入している。実際に納入する立場となって、指定された日に確実に野菜を用意し持っていくことはなかなか難しいことだと分かった。温度の下がり始めた時期にナスやピーマンなど急に育ちが遅くなり、数日前に納入量の変更を依頼するようなこともあり、指定日に採れる量を推測するのは経験も必要だと痛感した。難しさは感じつつも、生産者交流会で生徒と共に給食を食べるときには、自分の栽培している野菜を食べてもらえている嬉しさや誇らしさを感じ、この給食を食べた子どもたちが大人になって地元のことを思い出してくれたらという期待も少ししている。

原さんと共に生産者として活動を重ねるなかで、学校の動きによって地域が活力を得ているのを感じた。地産地消の給食は地域と学校を繋ぐ大事な場になっているのかもしれない。

 

※この記事は「産直コペルvol.46(2021年3月号)」に掲載されたものです。

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