長谷ってどんなところ?

2021.4月

【農家を訪ねて】Wakka Agri 出口友洋さんに聞く/世界を見つめて、〝ここ〟を耕す!海外用高規格米を、過疎集落の耕作放棄地で育てる

海外販売用の化学農薬・化学肥料不使用の高規格米を、山間部の狭隘な農業集落の小さな棚田で栽培する。この事業を通じて、米輸出の新展開を切り拓くと同時に、担い手不足で「消滅」の危機が迫る集落に継続可能な新たな地域農業の「形」を提示する—

そんな夢のような話に真正面から取り組んでいる若者たちがいる。既に、香港・台北・シンガポール・ホノルルの海外4カ所に店を持ち日本米の輸出販売事業(2016年販売実績約1000トン)を展開する(株)Wakka Japanのスタッフたちだ。

同社社長の出口友洋さん(39歳)が先頭に立ち、南アルプスの深い山に囲まれた長野県伊那市長谷地区に農業生産法人Wakka Agriを設立。地元の人々の協力を受けながら、今春から米づくりを進めている。

(産直新聞社編集長・毛賀澤明宏)

 

新「COOL JAPAN」は山間地の伝統的な米づくり


農業生産法人Wakka Agriは本年、伊那市長谷地区の非持と黒河内という二つの集落に、合計約1ヘクタールの土地を確保し米の栽培を開始した。品種と農法は大きく二種類に分けられる。

一つは、非持集落の最上部、里山との境界に位置する棚田をステージにした、文字通りの〝自然農法〟ともいうべき稲作だ(〝自然農法〟と引用符をつけて表記しているのは、かつて社会的に問題視された新興宗教と絡み合った農法と区別するため)。

棚田の最上部には鎮守の神様を祀る小さな祠があり、そこからは、非持の集落や、天竜川水系最大の支流・三峰川の水を湛えるダム湖が一望できる最高のロケーションだ。

この場所で、化学肥料・化学農薬はもちろん、循環型の有機質肥料も使わず、まさに自然と一体となった米づくりを進めている。水は、江戸時代より守り続けられてきた用水路が、南アルプスの源流地帯から急傾斜地を這うようにして運んでくるものを使う。そこで、手植え・手刈りの昔ながらのスタイルで、地元に伝わる「白毛もち米」等を育てている。

「この場所はWakka Agriの米づくりのシンボル圃場という位置づけです」と出口さん。この農法では、海外へ輸出できるだけのロットや低コストは望めないが、対外的に自社の米づくりのスタイルをアピールするにはうってつけだ。

後に触れるように、日本の化学肥料・化学農薬不使用の米づくりは、海外では、新たな「COOL JAPAN(※)」として注目されはじめており、そうしたイメージづくり・情報発信の源にしようと考えている。昔ながらの山間部の米づくりを、地元のベテラン農家に教えを請い、継承していく意味も持つ。近い将来には、ハワイ等海外の客を日本に招き、一緒に米づくりを体験してもらう、インバウンド関連事業に発展させる構想も持っている。

 

国際競争を勝ち抜く革新的な栽培技術・特選品種の導入


もう一つは、非持集落では先のシンボル圃場より下方の棚田、また黒河内集落ではやや広い棚田を舞台にして進める、最新の栽培技術を導入した米づくりだ。つくる品種は、胚芽が大きな「カミアカリ」。もちろんこちらの稲作も、肥料や農薬を用いない〝自然農法〟だが、作業方法や品種は「昔ながら」のものではない。

導入している技術の第一は、「福士式地下灌漑」技術。青森県の篤農家で、有機栽培で米や大豆をつくる福士武造さんが開発した技術で、水田の地下に暗渠を設置し、それに給排水のパイプをつなぎ、給排水弁の操作により水位を調整する画期的な灌漑システムだ。

福士さん自身は、当初、水稲から大豆への転作のためにこの技術を考案したが、その後、稲作でも、直播栽培による育苗・田植えの省略、作業性の向上、省力化、低コスト化など利点があることが分かってきた。出口さんはこの点に注目し、直接福士さんに教えを請うて、この技術を導入した。福士さん自身も既に長谷地区に何度か足を運び現地指導を行っている。

この「福士式地下灌漑」技術と組み合わせることで大きな効果が期待できるのが、第二の導入技術、「Ⅴ溝乾田直播」だ。こちらは、愛知県農業総合試験場が半世紀にわたる研究を経て開発したものだ。乾田圃場にⅤ字の溝を引き、そこに種モミを直播するもので、育苗・田植えの省略はもちろん、圃場の耕起も省力化できる。Ⅴ溝に種を播くことで鳥害も防ぐことができるという画期的なものだ。

この二つの技術を組み合わせて活用するのはWakka Agriが初めてのことらしい。

こうした最先端の技術を導入して、主に、作業効率を高め、低コスト化を進めるが、こうして育てる品種は、胚芽部分が特別に大きく、玄米で食べるのが向いている「カミアカリ」という特別な品種だ。


「カミアカリ」は、静岡県藤枝市の松下明弘さんが1998年に発見した「コシヒカリ」の突然変異種で、耐倒伏性が弱く育てにくいが、胚芽が巨大な点が最大の特徴。玄米で食べるには最適とされる。松下さんの他、福島県喜多方市の菅井大輔さん、茨城県太子町の大久保秀和さんら数人だけが栽培していたが、今回、出口さんが、品種を開発した松下さんに三顧の礼を尽くして、長谷での栽培を許してもらった。

この二つの革新的稲作技術と特選品種を組み合わせた米づくりこそが、「中山間地の農業集落・長谷を拠点に、世界に日本米を売り出そう」という出口さんの事業構想の核心をなす。この米を、鎮守の杜の棚田で進める昔ながらの日本の米づくりのイメージとともに、世界に発信しようというわけだ。 

 

グローバルなマーケット分析に基づく自然栽培米づくり


以上見てきたように、長野県伊那市長谷地区におけるWakka Agriの米づくりは、大きな構想の下に組み立てられた事業計画に沿っている。その計画は、若者の夢物語でもなければ、単なる思い付きでもない。

何より、現に今、香港・台北・シンガポール・ホノルルの世界の4カ所にコメの販売店を持ち、「三代目俵屋玄兵衛」というブランド名で、1000トン(2016年度実績)の米を販売している、その経験と知見を基に構想された確固とした事業計画なのだ。

「海外では、数ある日本米のうち、どのようなものに需要があるのか?自分たちで米を販売してきたから、そこを肌身で感じ取ることができている。それが私たちの強みだと思います」。出口さんはこう話す。

海外の日本米の需要を三角形の図解で示すと、底辺部分はカリフォルニア米と同等の品質・同等の価格の日本米、そこから順次品質が上がっていき、カリフォルニア米以上の品質の日本米、頂点のやや下に、有機栽培米、頂点には、有機栽培を超える、農薬も肥料も一切使わない自然栽培米が位置付くのだという。特に、ハワイなどでは、折からの自然食品ブームで、頂点部分、つまり自然栽培米を求める動きが顕著に強く、そのような消費者は高額所得者層に多いことから、販売価格が高めでも購入しようとするのだという。

他方で、出口さんたちが行ってきた日本から輸出するコメの商品構成からすれば、現状では、先の三角形の底辺、つまりカリフォルニア米と同等程度の品質・ブランド価値で、価格面でもそれと同等のものは、主にコスト面の問題から、これまでは日本から供給することはほとんどできなかった。

そしてもう一つ、頂点部分、農薬も肥料も使わない自然栽培米もまた、これまでは、輸出するほどロットがなく、海外市場に提供しようにもできなかったのである。

日本米の輸出を伸ばそうと考える場合に、この二つが、新たな商品開拓領域になると考えたという。

「日本には米農家はたくさんいるので、カリフォルニア米と同程度の質で、価格的にも同程度のものは、農家さんにお願いして省力化・低コスト化を図ってもらった方が良い。既存の農家とのバッティングも避けたかった。これに対して、むしろ、頂点部分、農薬も肥料も使わない〝自然栽培米〟はほとんど作られていないので、これをまず、自分たちで栽培してみようと思ったのです」と出口さん。

栽培技術だけではない。〝自然栽培米〟を求める消費者は、米の滋味を存分に味わうために、玄米で食することが多い。それに最も適合する品種として、栄養豊富な胚芽部分が巨大な「カミアカリ」に目をつけたというわけだ。

要するに、現に世界の4カ所で日本米を販売している、その実践を通じて深めてきたマーケット分析に基づいて、狙いすましたような事業計画が立てられ、それが一つずつ実行に移されているというわけなのである。 

 

山奥の耕作放棄地こそが〝ベスト・ライス・ファーム〟


実は、筆者は、以前より出口さんと面識があった。と、いうより、2016年初夏から、自然栽培用の土地を借用できそうな山間地農業集落を探していた出口さんを、長谷地区に関連のある友人たちと共にサポートしてきた。

話の発端は、出口さんの母校である信州大学の広報紙「信大NOW」が企画した濱田州博信州大学学長と出口さんの対談。この場で、「学生時代を過ごした信州で新たな米づくりに挑戦したい」という出口さんの意向を聞いた濱田学長と伊藤尚人信大広報室長が、「だったら、産直新聞に相談してみれば」と話をつないでくれたのだった。

筆者は、「信大NOW」の編集スタッフ・ライターとして、伊藤広報室長とともに、信州大学の教員・学生が長年関わってきた地域おこし・地域農業振興の現場を回り、「地域と歩む」という連載記事を書いてきた経験がある。そこで培った人的つながりを、出口さんの米づくりに活かして欲しいというのが濱田学長の意向であり、その意味を理解共有して、出口さんをサポートしてきたのだ。

「山奥の過疎化集落の耕作放棄地が私たちの新たな米づくりには向いているのです」。初めて会った時の出口さんの一言は、それだけで十分理解できた。

なにより、農薬も肥料も使わずに自然栽培で米づくりを進めるためには、上流部に誰も耕作者がいない棚田の最上部・水源の水がそのまま使用できる場所が絶対条件だ。しかも、ここ数年は耕作されておらず、つまり、化学農薬も化学肥料も使用されずに放置されていた場所の方が好都合なわけである。

そして、「私たちの米づくりが、過疎化が進むその地区や集落の活性化のお役に立つことができれば、そんな嬉しいことはない」という出口さんの思い……

この時点で、伊那市長谷地区だけが筆者の念頭にあったわけではない。全国各地に、過疎化が進み、後継者不足と耕作放棄地の拡大に悩む農村集落が存在する現在、こうした「地方の危機」「農村集落の危機」を突破する一つのモデルが、Wakka Agriの取り組みによって構築できるかもしれないと思ったのである。 

 

浮かびあがる過疎集落の課題と、Wakka Agriに期待される役割


しかし、実際の耕作地探しは相当の困難を伴った。耕作地にはできるだけ水源に近い、山奥の過疎化集落が良いとしても、脱穀機や冷蔵施設等の関係、さらには、輸出先への積み出し港への輸送手段の問題などがハードルとなった。

なにより、たとえ自力では耕作ができなくなっていたとしても、地域の人々の中には、先祖伝来の土地を他所から来た顔も知らない若者に委ねることへの躊躇と警戒が強くあった。これまでにⅠターンで就農した「有機栽培」指向の若者が、「土手草を刈らない」「挨拶をしない」「集落のしきたりを無視する」ことへの不満や不信感も根が深かった。

これらは伊那市長谷地区に限ったことではない。耕作地探しの過程で候補地となった長野県内数カ所のすべての地区でほぼ同じように問題になったことである。

こうした難問を切り抜け、伊那市長谷地区に拠点設置が決まったのは、出口さんの熱意の力であると同時に、ある意味では、「この地区・集落を何とかしたい」と思う〝人のつながり〟があったからこそと言える。

本誌「産直コペル」17号の「学校給食特集」で登場してもらった長谷中学校の高木幸伸校長が出口さんの応援団となることを買って出てくれた。「長谷中学校を地区の活性化の拠点とする」ことを目指す、これまでのコミュニティスクールの取り組みの中で地区の人々と結んだつながりを存分に活かしてくれた。黒河内集落の水田はこのつながりで借りることができた。

実は、筆者と前述の伊藤広報室長、高木校長は高校時代の同級生であり、さらに地区に生まれ育ち地域おこしを進めるNPOの幹部や、本誌18~21号で同じ長谷地区の農業の継承をレポートした女性記者(当時)も、皆、同級生つながりだ。彼らもWakka Japanの耕作地探しに力を貸してくれた。

つながりとは奇妙なもので、出口さんが「シンボル」と位置付けている鎮守の杜周辺の棚田の所有者は、偶然にも、別の同級生の奥さんの実家で、そのツテでその棚田の借用が可能になった。土地だけでなく、無人と化していた家屋も借り受け、Wakka Agriの拠点として使用されている。


このほか、出口さんの出身大学である信州大学の関係者も様々な協力をしてくれた。さらには、出口さんの取り組みに先見性・現実性を感じた白鳥孝伊那市長はじめ行政関係者や、父親が長谷地区出身の地元選出議員・宮下一郎代議士等の応援もあり、Wakka Agriの長谷地区での開設が決まったのである。

こうしたプロセスを通じて浮かび上がってきた受け入れ側・過疎集落の問題は、ひとことで言って決定的な人手不足・後継者不足であり、それはもはや最終局面に立ち至っているということであろう。

「人手不足」の問題は以前よりあり、長谷地区でも10年ほど前に、集落営農組織が立ち上げられ、そこに力を合わせて今まで耕作を維持してきた。しかし、今や、その集落営農組織を運営する人が高齢化し、力を発揮することができなくなりつつある。

しかも、注意しなければならないのは、こうした集落営農組織は、多かれ少なかれ、国の補助金に依拠して農地と集落の維持を図ってきた性格が色濃くあり、その集落の農業を事業として立て直し、収益を上げるためはどうしたら良いか―という視点が弱いことが多いという点である。山間地農業の急激な衰退の中で、ある意味では、それは、やむをえなかった道筋だったかもしれない。収益を上げようとしなかったのではなく、上げようとしたが、うまくいかずに今日に至ってしまったのかもしれない。

いずれにせよ、その集落の農業を事業としていかに立て直すか、しかも担い手がますます高齢化し枯渇する中でそれをどうするか―これが過疎化する中山間地の農業集落に問われている課題だと言えよう。

そして、こうした状況下で、Wakka Agriには、山深い里の棚田を使って、どのような収益性のある農業が実現可能かを示し、それを地域に拡げていく道筋を切り拓いていくことが求められているのだろう。

「自分たちは、まだまだ力不足です。先輩農家に学びながら、一つひとつ力をつけて前に進んでいきたいです。それがきっと、長谷地区の活性化につながるのではないかと思います」と出口さんは結んだ。

世界を見つめ、〝ここ〟を耕そう!

 

※この記事は「産直コペルvol.27(2017年9月号)」に掲載されたものです。

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