長谷ってどんなところ?

2022.3月

【長谷住民からのお便り】熱田神社に魅せられて

坂野心一朗さんは、2008年3月、横浜から移住してきたIターン者。横浜にいる時から神社仏閣巡りが好きだった、という訳でもないのに、なぜか坂野さんは長谷溝口にある熱田神社の虜になった。熱田神社のどこにそんなに惹かれたのか? 坂野さんが語った。

 

 

◆ 熱田神社との関わり

 

13年前(2008年3月)から長谷で田舎暮らしをしています。熱田神社との関わりはそのころからです。神社の存在は、犬の散歩が日課なので程なくして知りました。以来、年始の挨拶はここと決めてお参りをしています(犬を連れて)。散歩の度に目にする神社のことをいろいろと知りたくなり、地元の人に聞いたり図書館で調べたりしました。そして、分かったことをどこかに記録しておこうと思いたち(備忘録として)、立ち上げたのが「熱田神社」のサイトです(あくまでも私設です)。



「溝口郷づくり会」(区民有志の会で2011年1月に発足、当初会員8名)での勉強会で「熱田神社」を取り上げた際にビデオに収録しておいたものを、後に再編集してYouTubeへアップしました。紙芝居(溝口区公民館作成)を基にした動画スライド「熱田神社物語」もYouTubeにアップしています。「250年祭」(本殿大改修落成250年、2013年催行)の行事にも参加し、絵馬や角柱「熱田神社御守護」、Tシャツなどを「郷づくり会」で制作しました。この行事のリーフレットも作成しました。

 

制作したグッズ類


1長谷・熱田神社私設ホームページ
  

2 溝口郷づくり会ホームページ
  

3 「熱田神社」勉強会

YouTube


1) 石灯篭一対

2) 立太子記念

3) 邨社・水鉢

4) 熱田神社の文献

5) 熱田神社の由来

6) 熱田神社本殿

7) おかみ神社

8) 境内の石造物

 

 

4「熱田神社物語」

 

 

受験が始まる頃になると、地元の中学3年生が絵馬を吊るして合格を祈願します(本殿脇の「おかみ社」に奉納用の縄が張ってあります)。この絵馬は「250年祭」の際にデザインしたもので、絵馬の贈呈は10年近く続けられています。制作は、当初は「郷づくり会」での手作りでしたが今は業者に依頼しています。

 

神殿の飾り付けと神事の手引き

 

神社総代の役にも携わり(2年間)、神社の行事や神事の作法について一通り体験することができました。神殿の飾りつけ、献饌物(けんせんぶつ)の並べ方、紙垂(しで)の作り方、玉串奉典(たまぐしほうてん)の仕方など、知り得たことを忘れないうちに「熱田神社」のサイトに登録しました。この記録が輪番で役に就く方の手助けになれば幸いです。日本の神社の歴史に触れるきっかけにもなり、神さまと仏さまはどう違うの?お参りの仕方にも違いがあるの?そんな疑問が次々と解けていくのもまた楽しいものでした。


5 神事の手引き
1) 献饌物の並べ方
2) 紙垂の作り方

3) 玉串奉典の仕方

 

◆ 熱田神社の紹介

「250年祭」中尾歌舞伎の上映

 

長谷の「熱田神社」(所在地:宮の久保)がいつ建てられたかという記録はまだ見つかっていませんが、1763年(宝暦13年、江戸中期)に大改修されたという記録が残されていて(本殿改築の棟札と古文書)、そのころにほぼ今の姿になったとされています。1993年(平成5年)には国の重要文化財に指定されています。2013年(平成25年)10月、区民挙げての「250年祭」が盛大に行われ、中尾歌舞伎が舞宮の舞台で上演されました。

 

 

神社に祀ってある神様は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。東夷征伐の帰りに、当時たびたび村人に危害を加えていた大蛇を戸台の赤河原で退治し、その首をこの地(桑田)に埋めたと伝承されています。神社の形態は名古屋市にある熱田神宮の形影を迎えて三方三ツ辻をなし、溝口区の人々の産土神(うぶすながみ)として祀られています。神社関連の区の行事として、「新年拝賀式」(1月1日)、「祈年祭」(2月11日)、「例祭」(秋)、「新嘗祭」(11月23日)が毎年執り行われています。

 

神社の本殿は間口約3.3m、奥行約2.9mの三間社づくりで、覆屋(茅葺き、入母屋づくり)の中にすっぽりと収まっています。建築手法は日光の流れをくむ特殊な工法で、名工による精緻な彫刻が四周に施されています。中でもひときわ目立つのは両袖にある透かし彫り(福禄寿と寿老人)です。また、宝珠を持った竜がいてその宝珠にさわると縁起がよくなるといわれています。

 

宝珠を持った竜

◆ 結び

この地に生まれたわけではありませんが、移住をきっかけにその存在を知り、10年以上も関わってきました。その間ずっと「熱田神社」は何も変わることなく静かにおわしていました。変わったのは私たちの方です。これからも私たちの心のよりどころとして、いつまでもおわし続けることでしょう。産土(うぶすな)の神様とはそういうものなのかと、この稿を書いていて思いを新たにしました。

 

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