長谷ってどんなところ?

2022.3月

【長谷住民からのお便り】地域おこし協力隊として長谷地域に携わって

伊那市が管轄する「地域おこし協力隊」のメンバーになり、結婚を機に伊那市に移住。現在は、隊の活動として長谷の農業に関わることに加え、次世代の地域有志とともに「長谷農業再生応援隊」の一員として活躍する宮川沙加さんは今、「長谷に来てよかった」と心底思っているという。そんな宮川さんが、長谷地域に携わる喜びを語った。

 

 

〜ちょっとわたしのこと〜

千葉県に三姉妹の末っ子として生まれる。4歳から新体操を始め、気がつけば、18年間も続けることになる。大学時代には、教員免許を取得し、教師を目指そうと思うも何か違うと考え直し、幼稚園生から高校生までの運動指導を仕事にする。ボランティア先で、のち夫となる男性と出逢い、私がなんとなくふわっと思い描いていたことを、ひょうひょうと形にしていく彼に魅了され、結婚を機に伊那市へ移住することを決意する。長谷地域のお父さん、お母さんにたくさんお世話になり、ここに来てよかったと心底思っている。農業を生業のひとつにするため、家の周りが農機具だらけになっていていたたまれないこともあり古民家を買うことを決意。夫と娘との3人暮らし。

 

 

長谷での活動と暮らしについて

地域おこし協力隊の活動として、長谷の「農」に関わることに取り組んでいる。農産加工品の製造や販売支援、次世代の地域有志で取り組んでいる田畑の管理や出荷作業も行った。新しい特産物を検討したいという思いから、地域の特産物の蕎麦粉を使ったお菓子のガレットを試作し、試食する会を開催した。また「長谷の太陽」という長谷中学校が作るラー油の搾りだねを使用した「元気だで」という旨辛味噌ダレを農業法人ファームはせと共に開発した。当たり前のことだが、どれもこれも、私1人では成し遂げられなかったことである。

 

▶︎試食会の様子

長谷の空に若い世代の笑い声が響く。 顔見知りではあったが、これを機に友達になることができたとの声も。

 

▶︎稲刈りの様子

地域の方に教わりながら、農機具も少しずつ使えるようになってきた。

 

こちらへ来たばかりの頃、地域おこし協力隊という名前にとらわれ、地域を元気にしなくてはいけないなどと勝手に思い込んでいた部分があった。しかしもちろん自分にはそんな力があるわけではない。地域の方々に教えていただき、地域の方々が協力してくれて成り立つことばかりだ。

 

相談事があり自宅にお話しに伺えば、ご馳走を用意して招いてくれる。1日のうちに自宅へ地域のお父さんお母さんが別々に3名も農産物や加工品を持って来てくれることもあった。そんな日の我が家の夕食はご馳走だ。移住してきて初めて知った人のあたたかさである。

 

近すぎず、遠くないその距離感がとても心地良い。もちろん時には意見をいただくこともあり、人間関係に悩むこともあったが、人と深く関わりを持って生きていきたい私にとっては、そんな意見も有難く感じている。

 

 

人と人がつながる場作りを

活動のひとつに、地域の加工施設でお母ちゃんたちに漬物や味噌の仕込み方を教えてもらう機会があった。休憩時間には、それぞれ自慢の“家庭の味”を持ち寄り、自身の畑のことや、漬物をどう味付けしたのか、次々と話に花が咲く。そんな元気なお母ちゃん達の繋がりが、地域作りの要素としてとても大切だと感じた。こんな集まりや文化を繋いでいけたらな、という想いから、先輩お母ちゃんと手作りの保存食を一緒に作る会などを開催した。

新型ウイルスが流行し、以前にも増して人々の交流がままならなくなってきた。うまく共生していかなければならないわけだが、画面越しでは味わえない、五感を使ってというのだろうか、自然の中でこそ体験できる季節の手仕事をしながら交流できる場づくりを引き続きしていきたいと思っている。

 

▶︎梅しごと交流会の様子

地域のお母さんが先生となり、保存食の作り方だけでなく昔の暮らしの話をきいた。

 

今後の野望としては、ここ長谷の地で、夫婦で野菜を作り、それを大切な人たちに食べてもらう。また自然の中での暮らしを体験できるような場作りをしていきたい。

余談だが、私は移住をして、運動不足になった。車を多用し、ドアtoドアの生活をしているからだ。自然が近くにあるからといってたくさん歩いているかといったらそうではないのだ。生後5ヶ月になる娘を出産し、この地で生活していく未来を想像する今、色々と見方も変わってきた。自由にからだを動かし、自由に表現できる、そんなこどもの運動教室も開きたいともこっそり思っている。

ページトップへ ページトップへ