東京で暮らす編集部丸山による、「長谷プロジェクト」レポート。これは、彼女の故郷である長野県伊那市長谷地域の休耕田を復活させるプロジェクトだ。
6月16日早朝、父はこの世を去った。本当に悲しい出来事だった。私は、長く現役を続けてきた父に対して、これからは労せずに農業にかかわってもらいたいと本誌への執筆を願っていた。父も「長谷の暮らしを時系列で辿ってみるのもいい…」と了解してくれていたのに。米づくり引退と同時に生命力も尽きてしまったようだった。父は先祖伝来の田んぼに最期まで力を抜かない農業人生だったと思う。自分の農地が荒廃することを嫌っていた父にとって、この土地を吉田洋介さんが借りてくれたことは、思いがけない幸運だった。今となってみれば、残された家族にも、それは優しい計らいだった。(あるじがいなくなった田んぼがそのまま放置される状態を見るのはとても辛い。)
(産直新聞社編集部・丸山祐子)
あるじが逝っても 田んぼは続行中

例年どおりに、今年も5月を迎えるとあちらこちらの田んぼは水を湛え、機械音とともに田植えが始まった。水路を流れる水の音が農耕の始まりを告げた。間もなく、うちの田んぼも灌水し、田植えが始まった様子に、父は嬉しそうだった。しかしそれから数日後、体調悪化で病院に搬送され、それきり、長谷の自宅に戻ることはなかった。
父は昨年の11月に酸素を背負う生活になってからは、めっきり、外出をしなくなった。居間から、見慣れた戸倉の山並みを眺めたり、庭に出ては、自分の田んぼを見下ろすだけの限られた行動の中で、静かな時間を過ごしていた。
実は、5月半ばを過ぎても、自分の田んぼだけに動きがないことを父は心配していた。稲作は、耕起→湛水→代掻き→田植えと時間をかけて進んでいくものだが、いっこうに稼働する気配がなかったからだ(後でわかったことだが、機械の故障続きで修理に時間がかかっていたという)。
庭先から戻ってきた父に「吉田さんに聞いてみようか?」と聞くと「吉田君に貸したのだから、余計な事を言うものじゃない」とぴしゃりと言われたことを思い出す。
父は、そんな風に彼の良き理解者でありたいと見守る一方で、長谷の土地柄を知り尽くした者として、何かと口添えをしたい気持ちもあったように思うのだ。農地や農業用水などの共同利用から血縁関係まで密接に結びついているこの地域で、上手にやっていく方法を吉田さんに伝えたいという思いがあったのだろう。周辺地域の組の人達にも「よろしく頼む」と頭を下げておきかったと思う。そんな下準備もなく逝ってしまった。
田んぼを借りた吉田さんも、「水の事や土壌の事、周囲との関係などいろいろと聞いておけばよかった」と悔やんでいる。私たちは、「先人の言葉は一瞬も待たずに聞くべきだった!」と今更ながらに知ることになった。
私の思い出の農作業

今から30余年前、私の子供時代までさかのぼるが、田植えや稲刈りの農繁時期は、「お手伝い休み」と称して、小中学校が数日休みになった。今思えば、子供の手を借りなければ終わらぬ程、農作業の効率が悪い時代だったのだ。最近は機械化が進んだことでそういう習慣もなくなったようだが、当時は、隣組などから大勢の人達の手を借りて、運動会のように「よーいどん」で稲苗を植えた思い出がある。頑張るほど大人に褒めてもらえるので、私はうれしくて、つい宿題以上に頑張っていたものだ。
当時の田んぼはどんな様子だったのか、当時を書いた文献を父の書斎から拝借して読みながら、自分の記憶を思い返してみた。
当時の田んぼは、農道が狭かったり、小回りが利かないという理由で、機械が田んぼに入らない、使いにくい農地が数多くあった。特に長谷は山腹にある村で農地のほとんどは、山間傾斜地にあり、けもの道のような農道が田んぼまで繋がっていた。斜面の大きさで、労働力も生産量もまったく違う。段差が大きいほど潰れ地(生産能力を失った田畑)が多く、作付け面積が小さくなる。しかし、整備すれば、余計に潰れ地が増えることもあるのだ。平坦地での農業とは別物という位の作業だ。溝口地区でも、生産量を増やすために、小さな田んぼがあちらこちらに数多く点在していた。私は、子供心に、どこが自分の田んぼなのか覚えられなかった。
加えて、第二種兼業農家が多いことから労働力不足も起因し、徐々に山つきの耕作条件の悪い水田から荒廃が始まっていた。美味しい米が採れるとわかっていても荒廃が進むとは、現実は厳しい。(参考/信州大学農学部・長野県長谷村著『山村の生活と資源』)
大規模な区画整備工事が始まった

その後、溝口地区は、平成10年度から平成17年度まで、大規模な基盤整備が行われた。前述したような状況を打破して、使いやすい農地にするために、結束を固め整備推進を図った結果だ。お年寄りや女性が従事できるよう安全で効果的な農作業環境にしたいという住民の悲願が聞き入れられたに違いない。小さな地域で5億3千余万円の費用をかけた(農家個人負担金はかなり軽減された)大きな事業だった。
完成から約15年余り。事業推進の中心的メンバーだった父や地域存続を賭けて悲願した方々に続いて、次世代が当時とは違う課題に取り掛かり、農地を守り、この地区を活性化していく方法を考える時が来ている。
おまちかね 吉田洋介さんを紹介しよう

土地を借りてくれることとなった吉田洋介さんは、16年前に奈良県から来て移り住んだ、Iターン者だ。平成18年から、道の駅「南アルプス村」の一画で「野のもの」という雑穀レストランを経営しているほか、有機農業をしながら注文家具製造も行うマルチな仕事をして暮らしている。
「30歳で脱サラ、その後は田舎で自営業」と決めていたという吉田さん。ふらっと立ち寄った長谷に魅せられこの地に住むことを決めたという。「景色が雄大で、オオムラサキやカラスアゲハなどの蝶々が川岸を乱舞し、その光景が素晴らしかった。どうせ住むなら地域で一番山奥が面白そうだったから」とサラリと語る。
雑穀レストラン「野のもの」では、自分で収穫した雑穀と有機米を提供している。年々少しずつ作付け面積を増やし、昨年まで約1ヘクタールの圃場で5種類の雑穀と米を栽培していた。そのタイミングで、うちの田んぼが仲間入りをしたかたちだ。「体にいい作物を作るからには、圃場にも負担をかけない作り方をした方がいい」と考える彼は、無農薬、無化学肥料で農業を行っている。有機肥料での栽培・天日乾燥は、昔ながらのコメ作りと変わらない。それゆえ慣行農業以上に、播種から間引き、除草、収穫、脱穀まで手がかかって大変そうだ。
「長谷は、標高が高いために害虫が少なく、また南アルプスより流れる豊かできれいな水はミネラルを多く含んでいます。その環境が雑穀や米を美味しくさせ、豊かな収穫をもたらしてくれます。この先私のやり方でどこまでできるかわかりませんが、そんな長谷の良さを外にも知ってもらいたい。最終的には過疎化、高齢化に悩むこの地に人を呼び込んで少しでも賑やかにすることができればと考えています」と吉田さん。生まれ育った私以上に長谷を愛し、長谷の未来を想っている。
長谷の田んぼを借り受けて―吉田洋介さんより寄稿―

私の農業は、基本的に①農薬は使わない②化学肥料は与えない③使用する肥料も鶏糞を作るトリに抗生物質を与えていないもの④天日で乾燥させる の以上4点です。
毎年、夏になると毎日草ぼうぼうの圃場にしゃがみ込んでいるので「草取りばかりで大変だなあ」とよく言われますが、最初からこのやり方のため自分の中では「農業とはこういうもの」という考えになっており、「大変だ」とか「しんどい」と思ったことはありません。
それにしても。今年は草が多いです。一気に圃場を増やしたこともあり、人手が足りず、かなり草に押されています。せっかく借りた西村さん(丸山の旧姓)の田んぼもヒエが草原のように生えそろったところができてしまい、手押しの除草機では取り切れずに3日ほどかけて手でちぎり取ったりもしました。
通常、7月中旬の現在は根の活着をよくするためにいったん水を切る「中干し」という作業を行います。しかし今年に限っては、気候の影響や作業の遅れもあり、水を切ってしまうと草が余計に出てしまうので行いませんでした。
こちらに越してから農業を始めたので、失敗を重ねながら経験を積んで歩んでいます。今年から、西村さんにいろいろと教えてもらおうと思っていたのに、それがかなわず残念です。
私は、学生時代は、農学部で昆虫学のゼミにいたこともあって生き物に異様に関心があり、とくに標高の高い長谷では低地と違った虫などが多く見られるため、農作業の真っ最中に、何度も手が止まってしまいます。見かけない生き物を見つける→その都度急いで手の泥を払う→ポケットからスマホを取り出して撮影→フェイスブックにアップ、という余計な仕事が生まれ、ますます作業に遅れが出ます。
同じ田んぼでも不思議なことに植生や、生息する生き物に微妙な違いがあります。オスが背中に卵を背負う、タガメの仲間のコオイムシという昆虫が大量にいる田んぼもあれば、おなかを見せてプカプカうかぶマツモムシが多い田んぼもあります。西村さんの田んぼはオケラとアカハライモリが非常に多いです。トラクターで耕起するのが気の毒なほどでした。ほかには小型のゲンゴロウが何種類もいたり、またどこの田んぼにも共通してカエルは大量にいます。夜はゲコゲコと大合唱し、泊まりに来た友人の子供が「気になって寝られない」とべそをかいたこともありました。
サルやシカ、イノシシもいくらかはおり、特にイノシシが走り回ると圃場をぐちゃぐちゃにしてしまいますが、個体数が多くないのか現在それほど被害はありません。サルもカボチャや白菜などの野菜は両手で抱えて山へ走っていくことがありますが、ありがたいことにイネや雑穀には悪さをしないようです。
この地域の人に栽培や管理について質問をすると、どの人も面倒がらず熱心に教えてくれます。また口では「米は安いし儲からないからもうやりたくない」と言いながらも、どこの圃場も周囲の畔地だけでなく、水路周辺もきれいに管理されています。
そう考えてみると、先祖から受け継いだ圃場は当然大事ながら、それ以上にみなさん農作業が心底好きなんだろうなあと気付かされます。
こんなことを書いたら、これ以上、田んぼを草だらけにはできません。次々と生えてくる繁殖力半端ない土手の草刈り作業も何とかしなくては!
※この記事は「産直コペルvol.19(2016年9月号)」に掲載されたものです。
