長谷ってどんなところ?

結城晋平さん・結城さつきさん

2022.1月

【結城晋平さん・さつきさん夫妻】中山間地で「人と環境に優しい農業」を

伊那市長谷非持地区に、「人と環境に優しい農業」を営む30代の夫婦がいます。結城晋平(ゆうき・しんぺい)さんと、妻のさつきさん。ご夫婦は、できるだけ農薬を使わずに、長谷の豊かな自然環境の中で、雑穀などを有機栽培しています。どうして長谷で就農することになったのか、これまでの経緯と農業に対する思いを聞きました。

(産直新聞社編集部・熊谷拓也)

 

雑穀や小麦を無農薬で栽培

 

伊那市街地から車で長谷に入り、道の駅「南アルプスむら長谷」を通り過ぎてすぐ。集落の中を通る上り坂を上っていくと、住宅がまばらになる。さらに先へと進むと、小高い丘の上にひっそりと建つ古民家が見えてきた。

 

眼下にのどかな農村の景色が広がり、その向こうには、長谷のシンボルとも言える「美和ダム」のエメラルドグリーンの湖面が見える。湖を囲む山々の景色も美しい。ここが、結城さん夫妻の自宅兼仕事場だ。

夫妻は南アルプスに抱かれた自然豊かな環境の中で、アワ・キビ・ヒエといった雑穀や小麦を、無農薬で有機栽培をしている。栽培から脱穀・搗精(とうせい)・パッキングまで、手間暇かけて丁寧に行う。健康意識の高い人に支持され、選りすぐりの「五穀ブレンド」(黒米、白毛もち米、もちあわ、たかきび、アマランサス)は売り切れ必至の人気の品だ。

 

春はスナップエンドウ、夏はブルーベリー、ズッキーニを栽培。面積は雑穀も含めて計2・5ヘクタール。ブルーベリー園が毛虫の大発生に見舞われた2020年はやむなく農薬を使ったが、基本的に農薬は使わない。そのこだわりは、晋平さんの歩んできた道と重なる。

 

ふたりが就農に至るまで

さつきさん(右)の手料理を味わう晋平さん。ご飯は自家製の五穀米入り

埼玉県出身の晋平さんと松本市出身のさつきさんの出会いの場は職場だった。横浜の結婚式場でカメラマンとして働いていた2人は、結婚を機に伊那市へと移住。一時、晋平さんは市内の会社に勤めていたが、「このままじいさんになるまで今の暮らしが続くのか」との不安に駆られたという。

 

仕事では、長野県内各地を回った。そこで知り合ったのは、都会から山奥に移住してきて家を建て、自給自足的に生きる型にはまらない人たちだ。理想的とも言える農ある暮らしに触れ、自分たちの将来を描き直す気になっていった。

 

ちょうどその頃、賃貸住宅の近くで小さな家庭菜園をやっていた。当時の結城さんにとってそこは一番の安らぎの場所。「やりたいように暮らすのもありかもしれない」。そんな思いが芽生え始めた。

 

一時は、夜も眠れないほどに考え込んだ。仕事は何でもいいと思っていたが、「日曜だけごまかし程度の趣味だけやって、このままじいさんになっちゃうのかな……」と想像すると、「ものすごい恐怖が襲ってきた」という。

 

ある日、さつきさんと図書館を訪れると、たまたま「新規就農ガイド」が目に留まった。その本を借りて自宅で夢中に読み、稼ぎは少なくても豊かな生き方があることを再認識した。

 

研修先に見た、目指す農業の形

屋号は「おかめひょっとこ農場」。食卓から福が舞い込みますように、と二人の想いが込められている

晋平さんは就農を考え始めた時から、「やるなら有機で」と決めていた。せわしないサラリーマン生活の中で、「食べ物が人の体と心を支えている」と強く感じていたからだ。

 

覚悟を決めて県庁の就農支援窓口を訪れ、「農業をやりたい」と相談を持ち掛けた。

 

県からの紹介で研修先として選んだのが、「LURA(ルーラ)の会」(伊那市高遠町)の宇野俊輔(うの・しゅんすけ)さんの所だ。晋平さんはここでの経験が、「目指す農業の形を示してくれた」と言う。

 

宇野さんは、「食べる人」(消費者)と「作る人」(生産者)とが共に作物を育て、「自分ごととして支え合う仕組み」をLURAの会で体現している。会員は、土づくりから種まき・田植え、草取り、収穫までの農作業に可能な範囲で携わることで収穫物をもらえる。年会費は作物の量ではなく、作付面積に応じて決まる。

 

会員は農作業だけでなく、田植え前のどろんこ運動会や、農閑期の味噌作りといった季節のイベントも共にする。暮らしと農が密接に関わる営みに、晋平さんは強く引かれたと言う。

 

有機栽培のノウハウもそこで学んだ。たとえば、葉物野菜の残渣(ざんさ)は、稲わらと麦わらでサンドイッチして積んでいき、完熟堆肥にして育苗培土として使う。

 

種から発芽してやがて葉となり、生命をまっとうして枯れた後は地面に帰っていく。植物の有機的な営みの中に自分の人生を重ね合わせ、あらためて自分が自然の循環の中に生きていることを実感した。

 

中山間地だからこそ有機で

 

当初は研修先の高遠町で就農し、その後、長谷で雑穀を有機栽培していた先輩農家から、自宅兼加工場ごと引き継いだ。働ける場所が少ない中山間地の農業では冬場に仕事がなくなることがネックだが、雑穀の場合、秋から冬にかけて販売を継続できる。

 

農薬を使う慣行農業が一般的な日本で、有機農業が耕地面積に占める割合は1%にも満たない。農林水産省は2050年に有機農業の農地を全体のおよそ25%にまで引き上げる目標を掲げたが、有機農家は肩身が狭いのが現実だ。

 

平場の農業団地などでは敬遠されがちな有機農業だが、晋平さんは「中山間地だからこそみんなと異なるスタイルで農業がやりやすい」と言う。

 

山深い地域だけに鳥獣害といった大変さもあるが、「お客さんにはこの長谷の景色を思いながらうちの商品を食べてもらいたい」と話している。

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