長谷ってどんなところ?

細谷啓太さん

2021.3月

【細谷啓太さん―Wakka Agri社長】映画好きな文系大学生が…いつしか自然栽培研究の最前線に?!

長野県伊那市長谷で無農薬・無肥料でコメを栽培する農業生産法人「Wakka Agri(ワッカ・アグリ)」で社長を務める細谷啓太さん。もともと映画好きで、出身地の北海道を出て進学したのは、映画専攻がある文系の私立大学でした。在学中に自分が進むべき道に悩み、「社会がどう変わろうとも“食べる”ということは変わらない」と考え、農業について学ぼうと国立大学農学部への編入を決意しました。

細谷さんは日本で唯一、自然栽培研究分野で農学博士号を持っています。農繁期は毎日のように田んぼに足を運び、自身の問題意識に沿って研究を深めています。細谷さんがこの長谷の地で自然栽培に可能性を感じているのはなぜか。インタビューに語ってもらいました。

(産直新聞社編集部・熊谷拓也)

 

大学は映画専攻、農業とは無縁だった10代

 

私は長野県の出身でもなければ農家出身でもない人間です。生まれたのは北海道の中標津町(なかしべつちょう)で、北海道の右端にあります。30キロほど車を走らせれば、北方領土が見えるような辺境の地です。広大な農地ではジャガイモやトウモロコシが育てられいて、さらには酪農地帯でもありますから、人の数より牛の数の方が多いことで有名な町です。そんな北海道の田舎町で育ったので、農業は身近な所にありました。ただし、父は役場職員、母は専業主婦というごく普通の家庭で、実際に関わることはほとんどありませんでした。

 

中学まではこの中標津町にいて、高校は札幌市内に進学。ただ、当時はこれと言ってやりたいことはなく、部活動のサッカーに打ち込んでいました。18歳で高校を卒業し、明治学院大学文学部芸術学科に入りました。法律も経済もつまらなさそうに思えたので、映画専攻があるこの学科を選びました。けれど結果的にこれも期待外れでした。映画評論家の教授たちの講義を聞いていても、どうにも面白いと思えなかったんです。この時、人生で一番、悩みました。「一体、この先、どうしようか」と。文系だからこの職業にしよう、と考えるのではなくて。まったくのゼロベースで考えました。

 

私が10代だった頃には、社会が激変するような出来事がいくつもありました。例えば、アメリカ同時多発テロやリーマンショックだとか。そういう社会の前提が一瞬で崩れてしまうような時代に、「確かなものとは何だろう」と漠然と考えるようになりました。そんな時、社会がどんな風に変わったとしても、「人が食べることに変わりはない」という結論に至りました。つまりは、「食べ物を作る農業も、なくなることはないのではないか」ということです。そうした考えのもと、農業に携わりたいと思うようになったのが二十歳ごろのことです。それで農学部に編入しようと、高校の生物から学び直しました。それまでは完全に文系だったので、遅れを取り戻そうと猛勉強しました。明治学院大文学部には3年生までいて、翌年、茨城大農学部で再び3年生に。農業の実体験というのはまったくなかったのですが、それから農業について本格的に学ぶようになりました。

 

フィリピンで見たコメ作りの行く末

現在の活動拠点とする伊那市長谷地区にて。長谷さんさん協議会の「農ある暮らし学び塾」で、自然栽培の講師を務めた時の様子=2019年

 

具体的にどんなことを勉強したかと言うと、土壌にどんな肥料を与えたらいいかとか、植物の病気が発生する仕組みとか、そうした農学の基礎を教わりました。理系の大学では3年生になると、研究室に配属されます。私はお米を研究する「作物学研究室」に入りました。近年、夏の気温が非常に高くなってきていることで、お米が白くなる現象が全国的に観察されています。その研究室では、どうしてお米が白く濁るのかというプロセスやメカニズムを最先端の電子顕微鏡で研究していました。

 

そうやって農学の基礎を学んでいましたが、私の農業観に大きな影響を与えた出来事が修士課程のときの短期留学でした。「国際稲研究所」というフィリピンにあるとてつもなく大きな研究所です。区画された田んぼが全部で250ヘクタールほどあり、すべてが研究用に作られています。世界の稲の研究としては第一線を走っている研究所なのですが、私はここに留学させてもらうことができました。こちらの研究所は世界各国から研究者や学生が何千人と集うような所で、特に影響を受けたのが環境に対する意識の高さでした。日本にいると最近でこそ異常気象が意識されるようになってきましたが、私が留学した10年ほど前も、世界ではすでに深刻な環境問題が出ていました。干ばつで雨が全然降らなくてお米を作れないなど、問題はかなり深刻でした。それを何とか解決しようとする人たちを間近に見てきた経験から、今の時代は1枚の田んぼからたくさんお米を取ろうという時代ではなくなってきていることを実感しました。少ない水でのコメ作りなど、環境への負荷を考慮した農業が世界的に求められているということを強く感じたわけです。

 

「奇跡のリンゴ」の木村さんとの出会い

「奇跡のリンゴ」として映画化もされて一躍有名になった木村秋則さん(左)と、記念写真に納まる細谷さん

 

そうやって学生生活を過ごしていたわけですが、さらにまた大きな転機がありました。それは、「奇跡のリンゴ」で有名な青森県のりんご農家木村秋則さんに出会ったことです。茨城県阿見町という所に木村さんがコメの自然栽培の指導に来たことがあり、知人の紹介でお会いすることができました。木村さんは、荒れ果ててしまった耕作放棄地を再生させようという町のプロジェクトの講師役でした。私は木村さんのことをよく知らなかったのですが、驚いたことに肥料も農薬も使わずにコメ作りをするというのです。当時、私は農学の基礎を一通り学び、土の栄養素が欠けていたらこういう肥料を入れようとか、こんな虫や病気が出たらこういう農薬をかけようといった知識を得たところでした。肥料も農薬も使わないというのは、自分の農業観をすべてひっくり返されたような出来事で、非常に驚いたことを覚えています。一緒にプロジェクトに参加していた学生、教員も皆びっくりしていたわけなのですが、木村さんのさまざまな栽培指導の通りに肥料や農薬を一切使わずにコメ作りをしたわけです。結論から言いますと、予想以上に上手くいきました。収量としては一般的な農業の70%くらいでしたが、この田んぼで作ったコシヒカリの味がこれまで食べていたものとはまるで違い、「こんなお米が取れるんだ」と驚いた記憶があります。ちなみに、木村さんが作っている「奇跡のリンゴ」もその後食べさせてもらいましたが、その衝撃はこのお米を食べたときよりも大きく、「こんなリンゴが存在するんだ」と感動しました。そんな個人的な経験があったこともあり、自然栽培というものに関心を持つようになりました。

 

1年間そうやって自然栽培をやって上手くいっていたのですが、私の周りの学生や教員にその話をしても、なかなかポジティブな評価が得られませんでした。具体的にどういう話があったかと言えば、「水に肥料が混じっていたから上手くいったのではないか」とか「夜に誰かがこっそり肥料をまいたんじゃないか」とか。あまりに信じられない出来事だったので、批判的な受け止めが多いような状況でした。ただ私としては、無肥料・無農薬でコメができるわけがないという人たちが、実際に無肥料・無農薬でコメ作りをしたわけでもなく、研究をしたわけでもありませんでした。そこで自分の目で確かめてみたいと思うようになり、当時就職活動をする時期が迫っていたのですが、自然栽培を研究するために博士課程に進もうという決断をしました。

 

「コメは自然栽培できるのか」を自ら検証へ

 

研究をする場所として選んだのが、弘前大学の杉山修一教授の研究室でした。杉山教授は自然栽培研究の第一人者で、私は杉山教授の下で自然栽培の稲作について研究することになりました。博士課程の3年間で、主に東北を中心として100以上の自然栽培農家の方に会い、土やイネ、雑草、微生物について調査。何か共通の傾向がないかや、収量や品質が良くなりやすい要因は何かを調べました。博士論文は「自然栽培水田における窒素循環と収量成立機構」と題して書きました。これは、まずは最も基本的な元素である窒素に絞り、コメの自然栽培を深堀するという方法でアプローチです。

 

最初に就職したJIRCASから派遣されたベトナムの研究所の同僚たちと。右から2番目が細谷さん

 

3年間研究をして、自分の中である程度の区切りが付いた頃には、そろそろ就職をしなければいけない時期に差し掛かっていました。茨城県つくば市にあるJIRCAS(国際農林水産業研究センター)という所に研究者として入り、ベトナムに派遣されて研究をしていました。けれど、どうしても自然栽培への関心が抜けきらず、自然栽培に関わる仕事がしたいなという気持ちでブログを書き始めたところ、すぐにある人から連絡が来ました。それが私が今いる「Wakka Agri(ワッカ・アグリ)」という農業生産法人の出口友洋社長(当時)でした。ちょうど2017年の終わり頃で、Wakka Agriとしては1年目が終わり、これから2年目に入ろうというタイミングだったのですが、「長野県伊那市で自然栽培米を生産・輸出しているから一緒にやりませんか」という誘いを受けました。私も「こんな話はなかなかないな」と考え、引き受けることにしました。Wakka Agriの圃場がある伊那市長谷地区は、昔ながらの棚田が広がる典型的な中山間地域です。耕作放棄地も増えていますが、南アルプスに抱かれたミネラル豊富な水源があり、昼夜の寒暖差があるといった栽培条件としては最適な場所です。2021年4月にはWakka Agriの出口から社長の座を譲り受け、日々圃場で栽培の最前線に立ちながら、自然栽培について試行錯誤を続けています。

 

自然栽培が求められる時代に

 

環境や時代によって農業の形は変わる、というのが、私の考え方です。日本で言えば戦後の食糧危機の時代に、一つの田んぼからできるだけたくさんコメを取ろう、そのために化学肥料を入れて効率的に生産しよう、と考えたのは自然な流れだったと思います。しかし、「コメ余り」の時代となった今、どのような栽培方法がふさわしいのかをあらためて考えるのは必要なことだと思います。私たちがやっている棚田は、生産効率は決して良くありません。けれど、こうした棚田が日本の至るところにあるのは事実です。人口減少の時代に、そして、長谷のような中山間地にいると、自然と向き合いながら農業をすることが求められていると実感します。

 

これまでの日本の農業にはなかった部分に、自然栽培の可能性を感じています。資材を投入して足りない栄養分を補うという点では、慣行栽培と有機栽培(※)は似た考え方を取ります。一方、自然栽培では、作物の生長する力を最大限引き出す方法を考えます。農薬も肥料も使わないからといって、何もせずに放っておくわけではありません。管理の仕方によって、作物のパフォーマンスに大きな差が出るからです。そこに技術があるというわけです。私が目指しているのは、自然栽培を技術として確立すること。今は自然栽培に対するさまざまな見方がありますが、あえて自然栽培に挑戦する意味を強く感じています。

 

 

(※通常の慣行栽培では、必要に応じて農薬を散布し、化学肥料を使います。有機農業では農薬は使わず、化学肥料の代わりに有機肥料を用います。)

 

 

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