長谷ってどんなところ?

2021.4月

【農家を訪ねてvol.2】中山間地の耕作放棄地から世界へ/Wakka Agriの挑戦

海外販売用の自然栽培の高規格米を、長野県の山間部の棚田で育てている人たちがいる。本誌vol.25でも紹介した、農業法人(株)Wakka Agriだ。彼らのthe rice farmが長野県伊那市長谷地区にある。地域住民さえも諦めかけてしまいそうな中山間地の耕作放棄地が、自然栽培にはぴったりの場所だと彼らはいう。代表の出口友洋さん(40)に、世界に照準を合わせて長谷の地を耕す、自然栽培2年目の状況とこれからの展開を聞いた。

(産直新聞社編集部・羽場 友理枝)

 

三代目俵屋玄兵衛

昨年、長野県伊那市長谷地区で米作りをスタートした農業法人株式会社Wakka Agri。

彼らが徹底的にこだわるのは、自然栽培だ。長年人の手が入らず、耕作されていない耕作放棄地は、農薬や肥料も抜け、地力が回復しており、自然栽培にはもってこいの地だという。自然栽培は人工の肥料や農薬を一切使用しないため、上流で農薬を使用する圃場からの影響が出ないよう、一見耕作が大変そうな棚田の上部の圃場を選ぶ。中山間地の耕作放棄地、諦めるしかないと思っていた場所が、実はとても魅力的な場所なのである。「実は棚田が好きってだけのところもあるんですけどね。耕すのが大変だって会社のみんなに怒られる」と出口さんは笑う。

株式会社Wakka Agriの誕生は、海外から始まる。代表の出口さんが前職で海外に駐在していた時、「美味しい米が食べたい。きっと同じ思いの人はいるはず」と思ったことに端を発する。出口さんによると、その当時、海外のスーパーで購入する米は、米を専門に運送する業者ではないため、保存食として摂氏50度を超える船に積まれ何日間もかけて運ばれていたそうだ。精米したての米を食べる文化が海外にはなく、精米してから何日も経ち、劣悪な状況で運ばれる。こうして売られる米は、高価だがおいしくない。だから売れ残り、また日が経っていく。そんな悪循環ばかりで、海外では美味しい米が食べられなかったという。

そこで、出口さんは2009年に「三代目俵屋玄兵衛」というブランドを立ち上げた。海外に米を精米して販売する直営店を出店し、日本の米の販売に成功した。2013年には株式会社Wakka Japanという日本拠点も作り、香港、シンガポール、台湾、ハワイの4拠点で直営店を持ち、米を販売している。今年から更に拠点が増え、ニューヨークにも直営店を出店、またマニラとホーチミンにもパートナーシップ契約を結んだ「三代目俵屋玄兵衛」の店がオープンする。来年以降はタイ、パリ、ロンドン、オーストラリアで直営店をオープンする予定だ。「10年間で10拠点を目標にしています」と出口さんは語った。

 

自然栽培への挑戦


海外に拠点を展開し日本米を売ることを考えた時、普通の日本米ではカリフォルニア米に対して、品質、価格の点で競争力がなく、輸出販売は難しい。そこで、食への意識の高い富裕層向けの米を売ろうと考えた。そこで浮かび上がったのが、自然栽培米だ。肥料も農薬も使用しない自然栽培という栽培方法は、世界的にもアジア圏にしか存在せず、ある種とても「日本的」な考え方であり、独特な栽培方法だという。「八百万の神」を尊重し、その地に生きる植物、虫、水などすべての営みが栄養となり地力を育てると考える日本だからこそ、存在する栽培方法と言える。2015年のミラノ万博でも日本の自然栽培が発表され、注目を浴びた。

しかし、自然栽培の米で輸出する販売量を確保することは難しかったため、自分たちで作ろうと考え、株式会社Wakka Agriを立ち上げた。代表の出口さんが、2年間慣行水田の農家に弟子入りし、栽培方法を学び、昨年、長谷の地で自然栽培をスタートした。「自分は、実家も農家じゃなかったし、農業は素人だけど、こうやって海外でお米を売るとか、自然栽培をするとか、そういう考え方は、昔から農業が身近にあったら考えつかなかったと思う。皮肉なことに慣行栽培農家に弟子入りしていた2年間で一番難しかったのは、農薬を撒くタイミングだったんだよね。その意味では、逆に自然栽培は素人には向いていたのかもしれないね」と出口さんは笑って話す。

その栽培方法で育てるのは、海外のヘルシー志向の人が好む玄米食に向いた「カミアカリ」と、同じく海外の人の嗜好に合うさっぱりした味の白米「SK-6(通称スケロク)」。どちらも個人育種家により開発された貴重な米の品種だ。

昨年は1ヘクタールだった圃場も、2年目となる今年は約4ヘクタールにまで増えた。長谷地区の住民から借り受ける水田が4倍になった。昨年は、出口さんらの自然栽培を「こんな調子で大丈夫なのか」と心配して見ていた地域住民も、秋にはしっかりと稲が実ったのを見て、「やるじゃないか、今度はうちのも任せたい」と声をかけてくれ、圃場が増えてきている。長谷地区の高齢者率は高く、農業をしている人の多くが70代を超えている。「あそこの圃場は83歳のおじいちゃん、こっちは90歳のおじいちゃん……」。出口さんの圃場の周りには「誰かに任せたいけど、任せる人がいない、かといって水が入っていない田んぼは悲しい」という高齢者がたくさんいる。この人たちの心が動き始めている。

今年、大きく加わったのは、中尾集落の圃場だ。中尾集落は長谷地区のなかでも特に山間部で、急な斜面に棚田が広がり、高齢者には耕すのが難しい圃場が多い。耕作放棄された圃場をなんとかしなければと、中尾集落の人々も思っており、今回その圃場の一部を出口さんらが借り受けた。

 

日本で唯一人の自然栽培博士


もう一つの変化は、日本で唯一人の自然栽培の研究で博士号を取得した細谷啓太さんが加わったことだ。細谷さんは大学で自然栽培を研究し農学博士を取得後、国際農林水産業センターに勤務していた。その間にも自身のブログで自然栽培について発信し続けていたところ、そのブログの読者であった出口さんが、この人に会ってみたいとコンタクトを取ったそうだ。ちょうど都合が合い、北海道で初めて会ったのが今年の3月、そして4月には細谷さんは長谷で圃場を耕していた。

「自然栽培の研究は本当にニッチで、研究者が少ないんです。自分の研究してきたことを実践の中で活かせるようにしたい」と細谷さんは話す。

細谷さんが加わったことで、今年から栽培方法が変わったところもあるそうだ。細谷さんの博士論文「自然栽培水田における窒素循環と収量成立機構」によると、自然栽培水田の収量は穂数に比例していて、穂数が決定するイネ栄養成長期の段階(穂揃い期)で各水田の収量性は概ね決定されているという。イネの生育適温は18~33℃であり、自然栽培の低収の主な要因は、イネを植えた後の気温が低いことで光合成が抑制されたり、土壌窒素の供給不足で分げつ(イネ科などの植物の根元付近から新芽が伸びて株分かれすること)がうまくできず、十分に穂数が確保されないことだそうだ。地力窒素の発現は温度が高い方が促進されるため、自然栽培に関しては一般的に田植え後の気温が高い晩植を推奨している。慣行栽培では、肥料があるため低気温で植えてもイネは分げつを行えるが、自然栽培だと地力の窒素が発現しやすい温度の時期に植えた方が分げつをしっかりできるそうだ。今、彼らが育てている中尾集落の圃場は標高が高いこともあり、灌漑水の温度が低すぎたため、圃場に入るまでに迂回させて水温を上げたり育苗時の冠水の仕方をかえたりと工夫をしているという。

よく「自然栽培は1年目は地力で収穫できるが、2年目から収量が落ちる」といわれることがある。その理由としては、人の手の入らない自然生態系では、植物が枯れ、分解され、その地の養分になり、また新たな植物に吸収されるというように窒素が循環するが、農地ではそこで生産された収穫物を外に持ち出すため、その分の窒素が足りなくなり、無施肥栽培を繰り返すと収量が減っていくからだと考えられている。

作物において窒素は、生産および環境レベルにおいて最も重要視される元素であり、収量に最も関わる元素として知られている。窒素は足りなくても多すぎてもよくなく、高品質高収量を実現するには、適切な量の窒素をイネに供給する必要がある。

しかし、全国には、30年以上無施肥の自然栽培を続けても収量は落ちず、中には慣行栽培に匹敵する収量を実現している圃場がいくつもあるという。

細谷さんの研究によると、稲藁をエサにして大気中の窒素を固定する窒素固定菌は、土壌の窒素レベルが低い自然栽培水田で活発になるため、窒素を補給しなくても、地力窒素は減少しないことが考えられるそうだ。そのためうまくいっている圃場では、稲藁の鋤き込みと微生物の力で、窒素を必要とするイネの生育初期の段階で土壌の窒素レベルを高く維持できていると考えている。

他にも「除草の回数によって収量が変わるという報告があったり、濁っている水と澄んでいる水では、雑草の育ち方も変わると聞くので、一枚一枚除草に入る回数を変えたり実験しています」と話す細谷さん。「中尾の圃場では、色々と条件を変えて栽培し、実験しているので、今年はその結果が見られれば大きな成果だと思います」と出口さんは話す。

 

地域住民の思いを受けて


中尾集落に細谷さんが住むようになり、地域住民との交流も密になった。「地域の人には本当によくしてもらってます。毎日のように散歩がてら様子を見に来てくれる人もいるほどです」と細谷さん。取材した日にも、近所のおかあさんが差し入れを持ってきてくれていた。こうした様子はほほえましく、見ているこちらまで幸せな気持ちになる。

この地域に住む、小松壽美さんは「しばらく水の入っていなかった田んぼに今年は水が入ったことが本当に嬉しい」と出口さんたちの活動について話す。「昔、このあたりは炭焼きと養蚕で食べていて、今田んぼがあるところは全部桑畑だった。昭和39年に沢から水を引いて田んぼに変えた。ちょうど米価の上がっていく頃だったから、田んぼが1町歩あれば生活もできて、この辺の人達は外に出ていかずに済んだ。生活を支えてくれた田んぼがこうやって蘇って、昔の風景が戻ることが嬉しいなぁと思うよ。彼らも挨拶したり、きちんと圃場の管理をしたり、地域に溶け込もうとしてくれているのが伝わるし、一生懸命やっていることが伝わるから、本当におかげだなぁと思う。農業はなかなか厳しいけど、せめて赤字にならないくらいには、ここで実ってあげてほしいと祈ってる」と小松さんは頬をゆるめた。地域住民からも温かい思いと期待を受け、株式会社Wakka Agriは前進している。

今年、長谷産のお米は11トンの収穫を予定している。玄米のカミアカリは香港、シンガポール、台湾、ハワイ、ニューヨークへ、白米のSK-6はニューヨークとハワイへ渡る予定だ。

これからのことを聞くと、「長谷の耕作放棄されている圃場は全部、耕したい。人も来年にはもっと増やすつもりです。農家民泊もやりたいなと思っていて、古民家で自分たちのお米を買ってくれている海外のお客さんを招いて、一緒に田植えをしたいなと思っています。今、いい空き家を探しています」と出口さんは楽しそうに語る。「自分たちのやりたいことが、結果的に中山間地域の活性化につながるのであれば、とても嬉しく思います」と話した。

中山間地の耕作放棄地、高齢化、人手不足は、どこでも深刻な課題だ。すでに販路もあり、日本の独自性があり、中山間地の耕作放棄地の方が向いている自然栽培米。圃場を広げれば雇用が増え、耕作放棄地が減り、景観は蘇り、収量は上がる。続けることが難しい地域おこしのなかで、こんな好循環は、稀有であり、希望だ。人口が減り続ける日本で、インバウンドの問題は切り離せない考えになりつつある。中山間地でのアプローチにはこんな方法もあるという一つのモデルケースになっていくことだろう。

 

※この記事は「産直コペルvol.31(2018年9月号)」に掲載されたものです。

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